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ホテル・メッテルニヒ―James, 2015/2021, Wien

が初めてウィーンに来たのは大学生のとき、当時付き合っていた彼女と一緒でした。僕はその時ローマに留学していて、彼女が休みの間遊びに来てくれていたんです。お互い旅行好きということもあって、イタリアだけじゃなく、ドイツのミュンヘンやチェコのプラハ、オーストリアのザルツブルクまで、いろんなところを飛び回っていました。ちょうど年末の時期で、ウィーンで年越ししたいなと一瞬思ったんですが、ホテルの値段を見てみると、ハイシーズンでクリスマスからニューイヤーはぐっと高くなっていたんです。当時は学生でお金もなく、できるだけ安く旅行しようとしていました。いろいろ調べた結果、オーストリアより物価の安いスロヴァキアのブラチスラヴァで年越しして、1月1日にウィーンに移動することにしました。ブラチスラヴァとウィーンは電車で30分ぐらいなんですけどね、今から思うとちょっと滅茶苦茶な話です。でも、ブラチスラヴァでの年越しは本当に素敵でしたよ。

そんなにやりくりして行ったのに、ウィーンには1泊しかしませんでした。そういう旅行をするタイプだったんです。元日にシェーンブルン宮殿に行きました。新年で、雪が降ってひどく寒かったのに、すごい人でしたね。それからどこに行ったかな。シュテファン大聖堂、王宮博物館、カプツィーナー教会……王宮家具博物館にも行ったな。ホテルの近くだったんですよ。あと、ラントマンでカイザーシュマーレンとモンブランを食べて、あまりの量と甘さに気持ち悪くなったりもしました。やっぱり1泊では全然回り切れなかったんですけど、時間がないなりにかなり無理して遊びまわったと思います。

そういう無茶なスケジュールと、長旅からくる疲れと、真冬の中欧の寒さが堪えて、一緒にいた彼女はウィーンで熱を出しました。昼頃から体調が悪くなって、夕方にホテルに戻って少し仮眠をとり、なんとか夕食をとる体力を回復させて、近くのイタリアンレストランで簡単に食事を取ったあと、すぐにホテルに戻りました。結構無理をさせてしまったと思って、僕も反省しました。薬も持っていなくて、できることといえばホテルのタオルを濡らしておでこにのせたり首に巻いたりしてあげるぐらい。次の朝もチェックアウトぎりぎりまでホテルで休んで、ウィーンからローマに帰りました。

その6年後、僕は期せずしてウィーンで働くことが決まり、またこの街にもどってきました。6年前付き合っていた彼女は今では妻となり、今度もまた一緒についてきてくれました。僕たちは6年前のウィーン弾丸旅行のことをよく覚えていて、妻は私が組んだ無茶な旅程のせいで熱を出したことをよくからかってきます。看病してくれたのはよかったけど、おでこにのせられたホテルのタオルがすごく大きくて重かったって、今でも文句を言われるんですよ。ウィーンに越してきてしばらくして、そうだ、6年前に泊まったあのホテルを二人で一緒に見に行こう、となったんです。思い出のホテルですからね。でも、行ってみたら、ホテルはもうなかった。建物はまだあったんですが、ホテルの代わりにバーの看板が出ていて、そのバーもまた別のレストランに改装中だった。クラシックだけど肩肘張らなくていい、すごくいいホテルだったんですよ。

ホテルはマリアヒルファー通りから一歩入ったところにありました。6年前のウィーンはまだクリスマス休暇中で、お店は閉まり、辺りは閑散としていました。6年後僕たちがホテルを再訪したとき、天気は少しずつ春めいて、通りはショッピングを楽しむ人たちで溢れかえっていました。ホテルはもうなかった。でも、街はそうやって変わっていくものですよね。


インタビュー・文:OKUJI Yukiya