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9月, 2021の投稿を表示しています

マーリン―Pia, 2006, Mellach

シ ェリアがいなくなって2か月経ったときのことです。 11 月 1 日。オーストリアは諸聖人の日で、祝日なんです。だからはっきり覚えています。 私はその時田舎のゲストハウスでアルバイトしていました。キッチンで手伝いをしたり、客室の掃除をしたりする仕事です。祝日で、いつもより忙しい一日でした。仕事を終えて帰ろうとしたら、車のエンジンがつかない。壊れてしまったようでした。途方に暮れていたら、ゲストハウスのオーナーの息子さんが車を見てくれました。機械整備士だったんです。彼が車の下に潜って修理していると、どこからともなく、猫が一匹現れました。白と茶色で、尻尾に縞模様がある猫。修理に興味津々の様子で、一緒に車の下に潜ってみたり、車の周りをグルグルしてみたり、私を見上げてみたり。野良猫って、普通はあまり人間に近づかないんです。だから、始めは誰かが飼っている猫だと思った。 Freigänger ですね。でも、近所の人に聞いてみても、うちの子じゃないと言う。やっぱり野良猫だったんです。 シェリアがいなくなって、私は何度も泣きました。もう帰ってこないだろう、でも、もしかしたら帰ってくるかもしれない。諦めきれないまま、 2 か月が経っていました。私は、車と私から離れようとしないその野良猫を見て、決心しました。「シェリアはもう帰ってこない。この子をうちの子にしよう。」車は無事直り、私はその猫を連れて帰って、その子をマーリン Merlin と名付けました。『王様の剣』に出てくる魔法使いのマーリンが由来です。マーリンは私に、魔法をかけてくれたから。 インタビュー・文:OKUJI Yukiya

シェリア―Pia, 2006, Mellach

シ ェリア Želja は、スロヴェニア語で「願い」という意味です。茶色と灰色と黒が混じった雌の三毛猫で、鼻に大きい黒のぶちがありました。なぜか私の肩に乗るのが大好きで、私がお皿を洗っているときもお構いなしに肩に乗ってくる子でした。  私とシェリアは毎晩一緒に寝ていました。といっても、猫は自分が寝たいときにしか寝ないので、私が寝るときに一緒に部屋に来るわけじゃないんですよ。夜、外から帰ってきて、自分で私の部屋まで来るんです。私の部屋に来るためには、玄関、リビング、寝室のドアを3つ通らないといけないんですが、そのドアをひとつずつ開けてくるんです。ドアノブまでジャンプして開けるんですよ!冬はそのせいで外の凍えるような空気が家の中に入ってきて、一緒に暮らしていた祖父はどうしたものかと困っていました。でも、私はシェリアと一緒に寝られるのが嬉しかった。朝起きるとシェリアが私のベッドにいて、廊下をみると、足跡が床にてんてんてんてん……ってついているんです。外から入ってくるから、肉球に土や雪がついているんですね。 シェリアも放し飼いでした。なんで放し飼いにするのかって?確かに大都市では猫も家で飼いますよね。私が今ウィーンで飼っているマーリン Merlin とムッキー Mucki も家猫です。でも、オーストリアの田舎では、猫は基本的に放し飼いにするものだとみんな思っているはずです。そうだ、オーストリアの田舎では、道端に猫がいるのを見ても、すぐには野良猫だとは思わないんですよ。誰かの飼い猫か、農場で飼っている猫か、どちらかがぶらぶらしているだけだと思うはずです。 Streuner じゃなくて、 Freig ä nger だと思うんです。なんで農場が猫を飼っているかって?ネズミ捕りのためですよ。猫を飼って、エサや家畜に悪さをするネズミを駆除してもらっているんです。……これは昔聞いた話ですけど、農場は猫を飼うけど、猫を殺しもする。農場にとって、猫はいすぎても管理に困るからです。だから、飼っている猫がたくさん子どもを産むと、生まれた子猫を殺すんです。首をこう、くいっと。それが一番苦しまない殺し方だから。今はもう違うかもしれないですね。 あれはまだ寒くなる前だったから、 8 月だったと思います。ある日、シェリアは夜になっても帰ってきませんでした。 1 日たって、 2 日目...

マキシィⅡ―Pia, 1990, Vasoldsberg

マ キシィはよくひっかき傷をつくって帰ってきました。他の猫と喧嘩したりするんでしょう。軽い傷ならいいんですが、一度、右肩にひどい怪我を負って帰ってきたことがありました。車に跳ねられたんだと思います。すぐに動物病院に連れて行ったんですが、思いのほか状態が悪かった。「手術が必要だけど、その手術はウィーンでしかできない」とお医者さんは言いました。私たちはその時ファソルツベルグという村に住んでいて、グラーツは近いけど、ウィーンなんて正直、別の世界みたいなものだったんですよ。「手術できない場合は、安楽死させるのがいい」とまで言われました。安楽死なんて考えられなかった。だから、両親はマキシィを連れてウィーンに行きました。手術は無事成功して、マキシィはまた元気になり、今までと変わらず外をほっつき歩いたり、獲物をとったりするようになりました。伏せた時に右肩をちょっとだけ聳やかすようになったことが、怪我を思い出させる唯一の仕草でした。 マキシィはいつも、自分が一家の主みたいな顔をしていました。当時、バーニーズ・マウンテン・ドッグのジョージー Georgie とキーラ Kira も飼っていたんです。すごく大きくて毛の長い犬です。マキシィはよく、ジョージーのために買った犬用のこんなに大きいベッドに、素知らぬ顔をして寝そべっていました。ジョージーは困惑して母を見上げていましたよ。「取られちゃった、どうしよう」って。 マキシィは本当に自立心が強くて、ジョージーやキーラともそんなに遊ばなかったし、私の両親や弟にもそんなに懐いていなかった。でも、私にだけは違いました。私がマキシィを抱っこすると、頭を胸に摺り寄せてくるんです。「マキシィはピアにしかそんなことしないなあ」って、父は感心するように言いました。マキシィは私のこと、大好きだったんですよ。寝るときも毎晩一緒でした。マキシィは私にとって、初めての猫でした。 インタビュー・文:OKUJI Yukiya