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5月, 2022の投稿を表示しています

プラーターⅤ―Pascale, 1993-2021, Wien

あ 、ちょっと、お花を摘んでいってもいい?私、ちょっとした畑を持っててね、ここの公民館のお庭に小さい木箱を借りて、好きなものを植えたりしてるの。市民農園ってやつね。ほら、これが私の箱!コスモスが伸び放題になってるわね……これをちょっとお家に持って帰りましょう。あ、このナイフ、びっくりした?ビクトリアノックス。日本人がハンカチを持つように、スイス人はナイフを持つのよ。トマトも植えてる。夏はすごい勢いで採れたわ。ここを借りるのはもう2年目かな。来年からはスペースが減るから、抽選になるんだって。ちゃんと当たるといいけど……。お隣のこの人が植えてるのは唐辛子。去年、夜のうちに全部泥棒に盗られちゃったのよ!ひどいことをする人もいるもんね。 さあ、我が家までもう少し!───今のバー、見た?観光客はシュテファン大聖堂とか国立歌劇場とかを見て「ああウィーンだなあ」って思うかもしれないけど、私からしてみれば、あれこそがウィーンよ。薄暗いカフェの軒先で赤ら顔の爺さん婆さんが昼間からビールを飲んでる───あら、ドラガンさん!こんにちは!何してるの?───あの人、ご近所の人。セルビア出身みたいね。いつもワインとかチョコレートをみんなに配ってくれるの。いい人だけど、ほら私、前に人間関係でいろいろ失敗したから、適度に距離を置こうとしてる。オーストリアでは結構それが難しいのよね。でも、近所付き合いが嫌いっていうわけじゃない。こっちって冷房がないでしょ。だから夏は、風を通すために、みんな家の窓と玄関のドアを開けるの。お互い気心知れた仲だから、全然気にしない。うちのエマちゃんも、ひんやりしたアパートの廊下に出て涼んだりして。誰かがアパートの前の通りでおしゃべりしてたりすると、みんながそれを聞きつけて、誰からともなく集まって、パーティーが始まったりする。そういうのって、素敵よね。 いまの家はね、5年前ぐらいに買ったの。前のオーナーは昔カヌーのオリンピック選手だったとか言ってた。エマを飼い始めたのはもっと前。シェルターから引き取ってね。大丈夫、猫なのに全然人見知りしないから。そういえば昨日、うちの住所にウィーンの美術館からニュースレターみたいなのが届いてたんだけど、宛名が日本の名前だったの!昔、日本の人が住んでたのね、もしかしたら私の将来の夫かもしれないわよ、なんてね───ほら、やっと着いた!ようこそ我...

プラーターⅣ―Pascale, 1993-2021, Wien

こ れが昔住んでたアパート。ここに12年住んでた。暗い中庭に面した、暗い部屋だった。私はやっぱり通りに面した部屋が好きだな。車の音とか、道行く人の話し声とか、赤ちゃんの泣き声とか、そういうのが聞こえたほうがいい。ここは物凄く静かな部屋だったの。あ、でも、隣の人はすごくうるさかったのよ。カップルで、夜になるとセックスの声がすごいわけ。私も多少は我慢するけど、でも、毎晩聞こえてくるわけ!ついに耐え切れなくなって、お家のドアに貼り紙したの。「お二人が仲良くされているのは素晴らしいことだと思います。でも、どうか、もう少しだけ静かにしていただけませんか」ってね。そしたらピタリと聞こえなくなった。女の人のほう、ついこの前も見かけたから、まだこの辺りに住んでるみたいね。 ここに住んでた時の苦労はまだまだある。あるとき、中庭を挟んだ真向いのお家の人に声をかけられたの。ほら、ウィーンって、建物の距離が近くて、お向かいの部屋が目と鼻の先だったりするでしょ。窓を開けた時にちょうど鉢合わせて、そこから、お互い自分の家にいながら中庭を挟んでお話しするようになったわけ。私よりちょっと年下の女の人で、小さい男の子が3人いた。男の人と別れて引っ越してきたって言ってた。一緒にお茶に行ったりもしたわ。いい人だったんだけど、ちょっと距離が近かったかな。依存されてる感じがした。ひとりでいるのが耐えられない人だったのかもね。問題だったのは、家が真向いだから、私が家でなにしてるかが相手にバレバレってことよ。彼女がいつ窓際にいてこっちを観察してるかわからないから、窓の前を横切る時は、こうやって窓より低くかがんで歩いてたの!自分の家なのに、コソコソしなきゃいけなかったわけ! あそこは、ウィーンに来て最初に住んだ家。一番上の階だった。チューリヒからあそこに引っ越してきたころは、孤独で、世界から切り離されたみたいだった。2年で引っ越したわ。 (続) インタビュー・文:OKUJI Yukiya

プラーターⅢ―Pascale, 1993-2021, Wien

プ ラーターは昔、売春宿が多かったの。この建物も昔はそういうところだった。初老の男の人が経営してて、3つぐらい部屋を貸してたみたい。売春宿って聞くと、女の子を無理やり働かせてるみたいな悪いイメージがあるでしょ?でも、そんな白黒つけられる話でもないと思う。宿がなかったら女の子たちは公園とか車のなかでするしかない。それって、すごく危ないわけ。部屋を提供してあげるのは、彼女たちの安全のためでもあったの。まあ、お金をもらって商売してたわけだけどね。タバコとかサンドイッチも用意してあげてた。警察も目をつぶってたわ。でも、10年前ぐらいに閉鎖された。女の子たちが泣いてたのを覚えている。そのあとその男の人はどうしたんだろう。朝、仕事にいくときによく一緒になったから、いつも挨拶してたの。でも、名前も知らなかったわ。彼、いつもトイレットペーパーを持って走り回ってた。 ここのお店は、ものすごく大きいコルドン・ブルーを出すところ。コルドン・ブルー、知らない?カツレツなんだけど、なかにハムとかチーズとか入ってるの。隣のここも売春宿だった。お客は昼間も多かったから、ランチどきのコルドン・ブルー屋のまわりは結構な騒ぎだったわよ。両脇を売春宿に挟まれてるからね。まあ誰もそんなこと気にしないけど。向かいのあのお店は、昔タイマッサージだった。値段も安くて、夏にはテラス席も出してたから、私も行きたかったんだけど、場所柄たぶんそういうサービスもするところだったと思うな。結局行かずじまい。プラーターは、売春婦の女の子たちがいつもウロウロしてた。私も一人で信号待ちしてたら、車がゆっくり近づいてきて、運転してる男がウインクしてきたりするわけ。「違います」って顔すればすぐ去ってくけどね。売春婦っていっても、派手な格好をしてるわけじゃない。みんな普通の見た目よ。東欧から来た女の子が多かった。オーストリア人の子もいたけどね。 一回、交流会に行ったことがある。売春婦の人達との交流会。売春は悪いことがどうか、違法にすべきかどうかってよく議論されるけど、じゃあ本人たちがどう思ってるかって、全然注目されないでしょ?だから、ある支援団体が、当事者の女の子たちに語ってもらおうっていって、交流会を開いたの。ここの売春宿でよ。すごい盛況で、マスコミも来てた。部屋ごとに違うセッションが開かれてて、私はそのオーストリア人の子の話を聞い...